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209)実用解体新書

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 この半年をかけて母が遺した家の整理を進めてきました。220坪の敷地に4つの建物(母屋、プレハブ2棟、物置き)があり、すべてにモノがつまっていましたから、当初はエベレストの麓に一人立ちつくし雲のかなたの頂上を見上げる気持だったのです。今やっと9合目あたりまで来て「始末記」を書くゆとりができました。公を考えるブログのテーマと無縁ですが「身辺整理」や「断捨離」が心に兆し始めた方のお役に少しは立つかも知れません。私としては「捨てることの難しさ」と「ジモティーの繋ぐ力」を実感する体験となりました。  さて、家の整理とかけて「沼地をうまく渡る方法」と解く。その心は一歩ごとに沈まないよう足早に歩くことが大切です。「整理」は過ぎた日々と向き合う作業ゆえしばしば手が止まり視線が宙に浮きます。しかし取りかかったら前進あるのみ、迷わず捨てる。そう決意してちょうど良い加減です。しかしこれは今になって思うことで、実際には一歩進んでは次の手段を考えるという手さぐりの行程でした。  まず母の個人的な物や思い出の品は、「私が受け継ぐ」、「親戚知人への形見分け」、「わが家の薪ストーブで焼却」の3通りで整理し、その後に残った大量の書類、衣類、布団類は半透明のポリ袋(数十個)につめて草津市処分センターへ持ち込みました。  ついで骨董・古物商に何社か来てもらいましたが、買い取り・引き取りの可否はこちらの価値判断とまったく無縁で「いくら上積みして転売できるか」という一点にかかっており、私の予測はすべて外れました。ちなみに昨今は中国産の古物全般が高値で取引され、かの国の富裕層がこぞって買い求めるのだとか。それは他国への流出品を取り戻そうとする彼らの愛国的心情なのか、あるいは毛沢東以前の古い中国への郷愁なのか、単なる金儲けの手段なのかと私は考えてしまいました。また、鉄瓶、中でも滋賀県産の品が高く売れると聞きました(母宅にはありませんでしたが)。  さて、こうして様々な家財が引き取られていきましたが、家電製品や収納家具、食器類、新品・未開封の日用品などがまだ手つかずの状態です。ネットや電話で寄贈先を探したものの、どこも引取条件が難しいうえ輸送が面倒なので諦めました。ここでやっと社会福祉協議会の存在を思い出し、事務局に事情を説明して新品の介護用品等を引き取ってもらったほか、その紹介で子ども食堂を運営するNPO法人...

208)魚の目は泪

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 起きてから寝るまでの一日の時間の推移は身体感覚でつかめるし、何より時計が正確に教えてくれます。仕事はたいてい5日間を必死で泳ぎ土日にフーッと息をつく「週単位」、カレンダーをめくれば月が変わり、新しく買い替えると一年が過ぎます。誕生日は年ごとに訪れ、記念日も毎年ひとつずつ数を増します。しかし私たちが実感できる時の流れはこの辺りまで、せいぜい長くて百年を大きく超えることはありません。とすれば千年は想像を絶するほど長い歳月ではありませんか。  単なる時間の「長さ」なら地球誕生は46億年前、日本列島の形成は2000万年前、古琵琶湖は400万年前と古い事象はいくつもありますが、これらは人間のあずかり知らぬ天然自然の話です。「時の流れ」は、人の営為と結びつくことによって私たちに訴えかけてきます。ツタンカーメンの棺に置かれた花束がなお色をとどめて発掘者の心を揺さぶったように。そこまでロマンチックではないけれど郊外に広がる「田んぼ」だって、数え切れない歳月を耕され続けて今そこにあります。    さて、1165年の昔、智証大師円珍が唐から持ち帰った数々の文書がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。おめでたいことですが、これは何よりもまず、長い歳月、幾たびもの兵火をくぐり抜け文書を守ってきた園城寺三井寺の代々の僧たちに捧げられた花束です。福家俊彦長吏は「多くの先人たちの努力に敬意を表する。こういう文化を伝えることの意味を再認識した。」と述べられたよし。篤い信仰とゆるぎない使命感。無信心の私さえ粛然たる気持ちになりました。(佐藤市長と三日月知事のコメントからも文化を重んじられる姿勢が伺えました。このお三方の意見交換がありました。さぞ有意義な場であったろうと思います。)  しかるに! この名刹から西へわずか300mに位置する大津市役所では、かつて前市長越直美氏により公文書とデータの不法廃棄が行われました(今の市政と無縁の犯罪です)。さらに西へ80㎞行った神戸では、重要な裁判記録がむざむざ捨てられていたことが分かりました。東へ400㎞離れた霞が関では、自公政権のもとで数々の公文書が「隠滅」されています。法により、または社会の要請により保存すべき文書を、悪意をもって、または怠慢のために棄損したこれらの関係人は急いで三井寺に駆けつけて円珍関係文書を拝観し、文書を伝える意義を知るべきでしょう...

207)政権の大罪

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 資質と能力に欠ける息子を誰はばかることなく総理秘書官に取り立て、失態を重ねさせたあげくポンと放り捨てた岸田氏は、総理はおろか父親としても失格です。彼は自分に任命責任があると認め、一方で息子は苦い挫折を味わいましたが、これが彼らの「肥し」になるかどうか大いに疑問です。たいていの政治家たちの感覚(特に廉恥心)は、多数の国民と大きく異なりますから。  しかしこの件はまだ些事です。財源確保のめどが全くないのに「異次元」の少子化対策をぶち上げるのはもっと悪質で詐欺商法と変わりません。「歳出を削減する」と言いますが、防衛費以外は乾いたタオルのようにいくら絞っても水は出ないはず。社会保障費を削るのは弱い者いじめだし、国債をさらに増やすなら子どもの首をしめるのと同じです。国会での説明と議論を避け、空虚な言葉で煙幕をはる岸田政権も歴代同様に無責任です。  今日の少子化の主因は一世代前の出生数の減少ですから政府にとって「既定路線」であり、それに対し長らく有効な施策が行われなかったことは今に見るとおりです。岸田首相は支持率めあての言葉遊びをやめ、若い世代が安心して子どもを産み育てられる環境の整備に全力をあげるべきです。ちなみに「次世代の育成」は「今の世代」の重要な責務ではありますが、それが「自分の子どもを産み育てる」ことに限らないのは言うまでもありません。  さて、これらを上回る岸田政権の大罪は、なんと言っても「原発回帰」と「敵基地攻撃能力の獲得」の2つ(今のところ)でしょう。これらについては既に述べたとおりですが(記事 182 ~ 186 、 202 )、さる5月31日、老朽原発の延長を60年を超えて認める束ね法案(束ねること自体が悪質)が成立したことに少し触れます。自民、公明、維新、国民民主の各党は「脱炭素社会」と「電力安定供給」の字面の良さに惹かれて賛成に回りました。彼らは長期にわたる国民の利益を軽視する「今だけ族」です。  福島第一原発の事故後、従来40年間であった原発の運転期間を原子力規制委員会がOKすれば最長20年延長することが認められ「安全規制の柱」とされました。どこが安全かと私は思いますが、今回の法律変更により、60年の年限から「審査や点検で運転を止めていた期間を除いてよい」ことになりました。しかも運転停止の理由や期間が明示されていません。危険でずさんな基準です。電力会...

206)「光ルくん」がんばれ!

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  今回は大津市へのエール記事ですが、まず公務員の風上にも置けない国交省幹部らの人事情報漏洩について書かずにいられません。森友・加計学園問題に見るように公の私物化は安倍政権で頂点(どん底?)を極めた感がありますが、首相が変わって水が清くなるわけではありません。政権をつらぬく暗流は深く太く、省庁の役人もしっかり汚泥にまみれているようです。  国交省OBが、天下り先の民間会社で自分を社長にせよと横車を押したことが明らかとなり、同省の人事情報がOBに漏れていたことも芋づる式に分かってきました(朝日新聞のスクープ?)。当初は否定していた斎藤国交相も外堀が埋まると「国民の疑念を招きかねない」と決まり文句を発し、今後は規律をただすと述べました。「私利私欲にもとづく政治家や役人の不祥事」と「その重大性を小さく見せようとする責任者の白々しい釈明」が定食のように繰り返されて胸やけがします。  明日世間が知る情報を今日知ることが権力の証しです。情報取得の速さがパワーの源泉です。これを黄門さまの印籠のように掲げ民間会社をいじめていたのが天下りOBで、さらにいずれ天下ろうとする現役幹部でした。国交省では新旧の人事ポストを線でつないだ「線引き資料」なるものが多数外部に出回っていたようです。「いずれ公表される人事情報なので実害はない」という国交相は、そのイスに相応しい認識に著しく欠けています。こうした人物をトップに省ぐるみで権力の私物化が行われているというと少し言い過ぎでしょうか。  私のよく知る「国のお役人」は多くありませんが、みんな頭の回転が速く保身が上手であるものの悪人はいませんでした。町なかに放つと立派な市民です。しかし、こういう普通の人たち(彼らはそのように思っていませんけれど)が集まってピラミッドを形成し許認可権をいじり出すと「公」の軽視が生じる。これが権力の腐敗の一つの現れ方だと思います。個人の問題に引き寄せれば、彼らが私益と省益と国益を同じレベルで見ているところに問題があるだろうと考えます。  霞が関ばかりではありません。どこの市であったか、職員が市民の個人情報を私的かつ大量に取り扱って仲間内のお喋りのネタにしていたという飛んでもない事案がありました。国も地方も大多数の公務員は真面目であると信じますが、それでも不祥事があとを絶ちません。なんらかの権限をもって仕事をすると...

205)言葉について 2

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  政治家の弁明めきますが前回は大変舌足らずで我ながら意味不明の記事となりました。「訳わからん。言葉の劣化はお前だろう」と言われても仕方ありません。こうして書くほどに自分をさらしていますが恥は覚悟の上、今後もぼつぼつ続けていきたいと思います。言葉は本当に難しいと感じます。言いたいことをうまく掘り当てられないままに「第2弾」の発射です。  ご承知のとおり「ジモティー」は「売ります・買います(上げます・貰います)」のネット掲示板です。このたび多数の家具や建具を無料で出品したところ希望者続出で慣れぬ対応に追われましたが、すべて首尾よく引き取っていただきました。その際のメールのやりとりで「私は前にタンスが欲しいと言った人です。今度は洗面化粧台を希望します。まだ取引はできますか。」という文面に出くわしました。  私は例のごとく「人じゃないだろ、自分のことは『者』」って言うんだろ」と内心で思いました。ところがその後、洗面台を引き取りに現れたメールの主と対面し、外国語(おそらく中国語)を母語とする方であると知りました。会話がまことにたどたどしいのです(私の英会話よりは上手ですが)。翻訳ソフトを使ったにせよメールの文章を書くのも一苦労だったでしょう。そうと分かれば「人」と「者」の差など些細な話であり、私は、揚げ足をとって喜んでいる意地悪じいさんのような気持ちになりました。  これは言葉がその語り手に「紐づけ」されていることのささやかな証拠です。どんな人がどんな状況で言葉を発したかという「周辺事情」がその受け手の認識や評価に何らかの影響を与えます。伝説的な例として明治15年、演説中に暴漢に襲われた板垣退助の「われ死すとも自由は死せず」や昭和7年5・15事件の犬養毅の「話せばわかる」があります。これらの言葉をめぐって諸説あるようですが、いずれにせよ状況を切り離すとかなり異なった言葉になるでしょう。  「言葉の力」は何に由来するのかと私は考えます。話し手(書き手)である発信者が言葉に推力と伝達力を与えるのはもちろんですが、「馬の耳に念仏」というとおり受信者の受容力も大いに関与します。それどころか「目ざしの頭も信心」で取るに足らない言葉すら受信者の中に確固たる位置を占めることがあります。一方で発信者は自らの言葉の受信者でもあり、特に長い文章においては相互干渉が起こり得ます。また先ほ...

204)言葉について

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 「初めに言葉ありき」はヨハネによる福音書の有名な冒頭句。ここだけ切り取って云々することは控えるべきでしょうが、それにしても至言です。言葉は人間の創造物であり、同時に人間は言葉の創造物であるという事情を端的に表しています。いまや人工知能と言葉の関係も同様になりつつあるでしょう。  「言葉は海のごとし」は私の迷言ですが、深さと果ての知れない言葉の海にクラゲのように漂う我ら人間であることよと思うのです(大槻文彦博士もその大著を「言海」に「大言海」と命名されました)。このように私たちは否応なく「言葉の海」に浸っているけれど泳ぐのは簡単ではありません。それに長けているはずの作家にも渡辺淳一、瀬戸内晴美、林真理子のような例外があり、一方で本業は別なのに見事な文を書く濱田庄司(陶芸家)、中井久夫(精神科医)、山下洋輔(ジャズピアニスト)のような人がいます。  偉そうなことをいう私自身は浮かぶどころかいつも溺れかけなのですが、それでも日々言葉をめぐって様々な感想が生じてきます。それを順序だてて書くことは到底できませんから思いつく断片を記したいと思います。今回は2つ。まず「言葉は変化するものではあるけれど日本語はむしろ退化しているのではないか」という疑問です。  現在、国会論議やネット言論(それを言論と呼べるなら)で空疎な言葉が行きかっています。前者は政府の露骨な議論回避とそれを糺すべき野党の言葉の力不足の「共同作業」であり、後者では「匿名の指先」の悪い面ばかりが目立ちます。ただ私は、こうした現状を嘆いて昔を懐かしむことはさておき、昔の日本語の方が今と比べて「意味の器」としても「味わう素材」としても優れていたのではないかと漠然と感じるのです。  小説でいえば百年以上前の漱石、鴎外にはじまり百閒、志賀、谷崎、中勘助、芥川、太宰、中島敦、大岡昇平、大江、開高、古井由吉あたりまでは一定の調子を保ち意味が通る日本語であったと感じられますが、私と同年の村上龍(限りなく透明に近いブルー)や中上健次あたりからついていけなくなりました。もちろん辺見庸や高橋源一郎など優れた書き手はいるのですが、全体を平均して言うなら表現の質の低下が進んでいるのではないかと私には感じられます。  私は言葉に関して保守的でありオーソドックスな文章に心地よさを感じます(いま述べた「質の低下」も私の勝手な見立てです)。書か...

203)処理水のヒラメ

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 福島第一原発の汚染水は今も1日におよそ100トン発生しています。東電はこれを多核種除去設備(ALPS)で処理しタンクに保管しており中身は132万トンを超えました。それを海水で400倍ほど薄めて海に捨てる計画を彼らは進めています。この処理水の中で飼われているヒラメの映像をみて本当に人間は罪深いと思いました。ヒラメは処理水が安全だと証明するため内臓や肉をすりつぶして検査機にかけられます。しかし実際の海中では食物連鎖により有害物質が濃縮されますからこの検査は科学的に無意味です。かつて料理人が生きた魚をさばいた後に水槽で泳がせ客に見せる「残酷ショー」がありましたが、私はそれを想起しました。  私はヒラメもブリも好んで食べるし実験用モルモットの恩恵もどこかで受けているはずです。こうした社会全般で行われている動物の「利用」と処理水ヒラメの「実験」の間に本質的な差異はありません。どちらも動物は自然の摂理によらず、圧政者たる人間の利己的な行為の犠牲となって死に至ります。今年の冬も鳥インフルエンザ対策として全国で1500万羽のニワトリが処分されました。こうした「種的収奪」が人間の生存の基盤であることは今更いうまでもありません。  しかし「動物利用」は、人間社会のために有用である(少なくとも有害ではない)という認識をせめてもの免罪符にしているのではないでしょうか。それは生態系の保全や命の教育など実用目的のためばかりでなく、人間が自らの行き過ぎを自ら制御するような心性です。しょせん「盗人にも三分の理」ですが、たとえそうであっても動物の命を奪うことについて「抑制的である方がよい」との社会的な合意が存在していると思います。動物愛護管理法の基本原則(動物をみだりに殺したり苦しめたりしてはならない)にみるとおりです。  ただ、この法律の条文は「愛護すべき動物」として哺乳類、鳥類、爬虫類をあげ、魚類を含めていません(海洋国として当然でしょうが)。したがって処理水ヒラメは明確な法令違反ではありませんがそれは細かい話。私が問いたいのは、科学的根拠のない安全イメージをふりまいて処理水放出容認、さらには原発推進容認に社会を誘導していこうとする東電や政府の悪しき意図です。「三分の理」さえ踏みにじっています。これではヒラメは幾重にも浮かばれません。  こんな話をすると、「それなら汚染水対策の代案を示せ」とか...

202)春は来たのか

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 数日まえ桐生の森でウグイスの声を聞いて思わず足を止めました。去りゆく冬を惜しむものではありませんが、何やら一人で山中をさまよっているうちに季節に取り残されてしまった気分です。私に限らず社会全般も明らかに「滞っている」と見えますが、こうした人為に一切お構いなく、見えざる大きな手は着実に季節を押し進めていきます。人間が自然に置いてけぼりを食わされているように感じるのです。ほどなく「マスクなしの花見」に国中が賑わうことでしょうけれど。  もう9年前ですが、2014年7月、安倍内閣は憲法9条を無視して「集団的自衛権」の閣議決定を行いました。2022年12月、今度は岸田内閣はウクライナ戦争を奇貨として「敵基地攻撃能力」(安保3文書)を閣議決定しました。曲がり角を2回曲がって「もと来た道」です。これが国民注視の中、国会において憲法、外交、経済等の各方面から真摯な議論が重ねられた上の議決、承認であればまだ致し方ないところですが、両内閣ともその責務を放棄しました。これを忘れないでおこうと思います。  くわえて防衛予算倍増計画です。対米従属のはてに「好戦的」なイメージを近隣国に与えるのは国益に反します。万一の台湾有事の際、米国が安全圏に身を置いて日本を中国の正面に押し出すことは目に見えています(いまのウクライナに見るように)。核の傘の抑止力は幻想にすぎません。そもそも、このように原発をずらりと沿岸に並べていては、全面戦争に至らなくても、国破れて「山河なし」になること必定です。春の憂鬱ではありませんが、右を向いても左を見ても、眉をひらくような出来事が見当たりません。  戦争はウクライナばかりでなく世界各地で続いています。食品廃棄や肥満が社会問題化する一方で世界人口の1割が飢えに苦しんでいます。感染症は今後とも課題であり続けるでしょう。80億人を見渡して「人類はどこで間違えたのか?」と山極寿一氏は問いかけ、「人類は進化の勝者であるという考え方がそもそも間違っている。その思想の裏に間違えた道筋をたどった歴史が隠されている」と指摘しました(本年2月の「第3回人文知応援大会」基調講演において)。  ここで氏の見方を紹介するものではありませんが(私には及びません)、たとえば宮沢賢治の希求した「世界全体の幸福」も、人類のボタンの掛け違えによって成就されない構造となっているのかも知れません。ともあ...

201)内心の自由

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 ~ いや今度ばかりはしくじった。タテマエの鎧を脱いで本音をぶちかませば道は開ける。この流儀で俺はここまで出世した。臆病なやつには言わせておけ、リスクが怖くて人の上に立てるか。今はたまたまピットインしたがすぐレースに戻ってやる。それにしても俺の首を切ると発表した首相の苦しい顔はどうだ。俺への思いやりにあふれてたぞ、ありがたい。麻生先生もニヤリとしてまた戻って来いと言ってくれた。  発端は気の毒な首相答弁だった。時流に乗っかって立民も共産も言いたい放題、首相は忍の一字よ。だから腹ふくるる思いの首相に代わって俺が官邸の本音を言ってやった。これは本来業務だ。記者連中はハイエナというより人間だろう、人間同士なら本音が通じる、政治を動かす生身の人間の本音が分かれば記者の認識は立体的になる。こう思ったが今度は裏目に出た。  オフレコにも油断したな。これからは本音トークの引き出しを増やす必要がある。結果的に官邸に迷惑をかけたから否はもちろん俺にあるが、ではマスコミに義はあるか。野党はどうだ。世論はつねに正しいか。そもそも家族は有性生殖という人類の生物学的事実に基づく制度だ。誰だって父親と母親から生まれるじゃないか。この社会が簡単に変わっちゃ困る、これが首相と俺の本音だ。それに理屈は別に、内心に生じる自然な思い、気持ち悪いという感情をいったい誰が裁けますかってことだ。  まったく首相と俺は一身同体だった。考えりゃおそれ多いことだが、そうでなければ秘書官は務まらない。首相がくしゃみをしたら俺が風邪をひく。首相が焼き芋をくったら俺の尻から、、、いやもう止めておこう今は空しい。しばし我慢の子だ。与党には俺のことを分かってくれる人も多い。前途は明るい。I shall return. マッカーサーだったな。俺も必ず早くオモテ舞台に戻るぞ! ~  お察しのとおりこれは荒井勝喜首相補佐官の独白(の想像)です。彼は性的少数者への差別意識を「正直に」吐露して更迭されました。荒井氏がこんな人物であると岸田首相が知らなかったら暗愚であり、知っていたら確信犯ですがむろん後者でしょう。これは官邸全体、さらには自公政権の体質に通じる問題であると思います。政権中枢にある人々は、腐臭のする泥沼にともに根を下ろして養分を吸っているようです。荒井氏はスケープゴートにされただけ、当人はもちろん反省などしていない...

200)大津市政(庁舎整備と商品券)

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 最近の新聞で知った大津市の施策について書きます。これまで申し上げてきたとおり私は大津市役所の応援団であり、職員の皆さんが喜びと遣り甲斐をもって市民のためによい仕事をされるよう祈っています。しかしこれは私が心の中で勝手に思っているだけで、退職後は市役所に出向いたことがなく職員の方々とも職務上の交流は一切ありません。したがってこの記事は外部から眺めた一つの感想にすぎません。  ついでながら、退職後も古巣に足しげく出入りして先輩風を吹かす老人は百害あって一利なしです(電通の高橋某のように)。「事業の進歩発展に最も害するものは青年の過失ではなくして老人の跋扈である」という伊庭貞剛の言葉を前に引きました( 記事138「住友活機園」 )。これは個人の出処進退についての戒めですが、組織上層の人々にとっても自らを律する言葉になるものであると思います。近ごろ大企業の社長の勇退が続きました。政界もこれにならってほしいものです。  さあ! 大津市はついに庁舎建て替えに着手しました。昨年12月、庁舎整備基本構想を公表し、広く意見を聞きながら来年度中に基本計画を作る予定であるとの報道を見て、私は「あ~よかったあ!」と思いました。これは時の市長にとっても「のるかそるか」の大事業です。前市長の「無責任先送り」の後始末に正面から向き合われた佐藤市長のご決断に敬意を表します。もちろん副市長以下の意見に耳を傾け、市民のために判断された結果でしょう。  大津市庁舎本館は、1967年(昭和47)、堅田町・瀬田町との合併を機に建設され、その4年後に別館が建てられました。この二つの建物の何が一体問題なのか。それは、建物の壊れやすさ(脆弱性)です。2004年の耐震診断の結果、大規模地震(震度6強~7程度)への耐性(IS値)が、要求水準の「0.9」に対して本館がわずか「0.1~0.35」、別館が「0.11~0.68」に過ぎないと判明しました(数字に幅があるのは階層と方向によって耐震強度が異なるため)。  これは恐ろしいほど低い数値であり、建設現場の仮設プレハブ事務所の方が数倍は安全です。こんな危なっかしい庁舎に職員が毎日出勤し、数多くの市民・事業者が来庁されます。大津市役所が今日も無事に業務を終了することができたのは、「今日も大きな揺れがなかった」という有難き偶然によるものです。「公の器」はもっと確かな安全を求...

199)夢は枯野を

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 1月23日、岸田首相が施政方針演説を行いました。そして昨年、国民と国会と憲法9条を無視して他国領土内の軍事基地を攻撃する力を保有すると宣言したことを「日本の安全保障政策の大転換」であると胸をはりました。バイデン氏に頭を撫でてもらい元気倍増です。むこう5年の軍事費を43兆に膨らませ、そのため増税するとも言いました。そして原発の推進表明、教団との関係の「不説明」等々。起きても致し方ない国会乱闘も起こりませんでした。  今回のテーマは別にありますがここで憲法をめぐって一言だけ。自民党は改憲を党是とするそうですが、憲法が「結果的にせよ」おびただしい人の命によって贖われた最高規範であることは、押しつけ憲法と批判する人々も認めざるをえないはずです。まして国務大臣や国会議員には理念レベルにとどまらぬ明瞭な憲法遵守義務があります。そもそも戦後70数年、私達はいまだに憲法の文言に血肉を添え内実を充填していく途上にあって、改憲論議はその先の話ではないでしょうか。  百歩ゆずって「時代の変化に応じた改憲はあり」としましょう(たやすく改憲できるなら規範の意味はないけれど)。政府与党はそのための地ならしに血道を上げています。特定秘密保護法や集団的自衛権の容認も議論のないまま強行されました。今回の「敵基地攻撃能力保持」も同じで、違憲事実を積み重ねて「憲法は時代にあわない」と主張するのは本末転倒、事実(政治)こそが憲法によって縛られるべきです。国会では「改憲論議」ではなく「憲法論議」を行う必要があります。  こうした問題山積のご時勢にのんきな昔話は気が引けますが、前回の割愛分に区切りをつけておきたく再び江戸期の話をいたします。かの芭蕉とわが先祖に袖すり合うほどの縁があった(らしい)と分かったので私も「元気倍増」なのです。貞享2年(1685)早春、「野ざらし紀行」の途上で京都にあった芭蕉は、堅田の本福寺住職三上千那に請われ初めて大津に足を踏み入れました。小関越えの道すがら、「山路来て なにやらゆかし すみれ草」の句を得ています。  今颪町(長等3丁目)の本福寺支院に草鞋をぬいだ芭蕉は、さっそく「辛崎の 松は花より  朧にて」と詠みました。「湖水の眺望」と題するこの句について芭蕉は、「我はただ花より松の朧にておもしろかりしのみなり」(去来集)と語っていますから、その地点から見たままを描写したはずで...

198)命の船

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   こんな小話がありました。~ある動物園に毎日かかさずやってくる熱心なお客がいる。いつも他の動物に目もくれずチンパンジー舎に直行して長い間あきもせず観察している。あまり度重なるのである日、職員が何かのご研究ですかとたずねた。 するとお客が答えていうには、いやなに人間は猿から進化したっていうからね。チンパンジーがいつ人間になるかこの目で見届けてやろうと思ってさ。~  ダーウィンを学んだ私たちは、何年たっても熱心なお客の望みがかなわないと知っています。 サルとヒトは数百万年前に同じ霊長類から枝分かれし、それぞれ後戻りできない道を前へ前へと進んできました。もう兄弟に戻れません。長い時が流れてクロマニョン人など新人類が現れたのが 20 万年前のこと。これを私たち現生人類の祖先とみなし、世代のサイクルを仮に 20 年とすると、いまの地球上の私たち 80 億人は等しく「ヒト一家」の一万世代目の末裔にあたります( 20 万年÷ 20 年= 1 万)。    かたや日本列島に人が住み始めたのが 3 万年前ですから、同じ算式によると私たちは列島先住民の1,500世代目の子孫となります。 滋賀県では井伊家が由緒ある古い家柄、京都で有名なのは冷泉家、大御所はもちろん天皇家とされていますが、こうした系譜もその長さにおいて人類の歴史の中で何ほどのこともありません(くだけていうと「それが一体なんぼのもんや」です)。これが家系や血統について云々する際の「額縁」であると私は思います。今さら言うほどのことでもないのですが。    また関連して思うことは、親から親をたどって時をさかのぼると驚くほど多数の関係者が存在するという、これも当たり前の事実です。親は 2 人、祖父母は 4 人、曽祖父母は 8 人、、とネズミ算式に増えていきます( 2 のn乗)。さきほどの話で「列島住民1500世代目」にあたる私は、最小単位である自分の「家系」において「16代目」ですから先祖の人数は「2の15乗」、すなわち32,768人となります。長く続く3万をこえる血脈の末端に一人の私が存在しています。  この計算は「同一人の複数回の婚姻」、「血族内婚姻の可能性」、「家をつなぐための養子」等を度外視していますから、正確には「人数」ではなく「人と人の出会いの延べ回数」と言うべきかもしれません。 ともあ...

197)2冊の本

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 12月と1月に本をもらいました。いずれもよき友人からのギフト、今回はこれらについて書きたいと思います。1冊目は日本敗戦の翌年(1946)に日本書院から発行された「宮沢賢治歌集」です。校注者の森壮已池(もりそういち)は賢治と深い親交があったよし、この人の前書きを私は証人陳述のように読みました。それにしても賢治歌集がこんな早い時期に編まれていたと知りませんでした。生前に刊行されたのは「春と修羅」、「注文の多い料理店」の2点に過ぎませんでした。  宮沢賢治が短歌を始めたのは、明治43年、14才の時とされ、歌集も同年から始まっています。その前年、彼は父に伴われ盛岡中学校の寄宿舎に入りました。  冒頭の一首「中の字の 徽章を買ふと つれだちて なまあたたかき 風に出でたり」は、青春の入り口に立った少年の昂揚を感じさせます。 次の一首「父よ父よ などて舎監の前にして かのとき銀の 時計を巻きし」は、高価な懐中時計をさりげなく相手に見せる父への直截な問いかけで、後年の父子相克を予感をはらんでいます。  この二人は、大正10年(1921)、比叡山延暦寺を訪れました。父政次郎は浄土真宗の篤信家でしたが、賢治は歎異抄や漢和対照妙法蓮華経を通じて日蓮宗を深く信仰するにいたり、父に強く改宗を迫って対立を深めます。そしてこの年の1月に無断で家を飛び出し上京、国柱会(純正日蓮主義を信奉する在家教団で今も存続)を訪ね、街頭布教や奉仕活動に明け暮れます。小切手を送り返してくる息子の心身を案じた父が4月に旅行にさそい、そろって伊勢、大津(!)、奈良を訪れたのです。  根本中堂での一首。「ねがわくは 妙法如来 正徧知 大師のみ旨 ならしめたまへ」  「妙法如来」は根本中堂の本尊である薬師如来をさし、仏陀を意味する正徧知もここでは同じく如来をさす。「大師のみ旨」は最澄が19歳で入山する際の「願文」の中の「回施して悉く皆無上菩提を得しめん」という部分をさす、と解説されています。この歌には、父に対する時のような他宗派への非妥協的な姿勢が感じられません。父と子は、親鸞と日蓮が同じ延暦寺で修行を行った歴史をそれぞれの思いで振り返ったでしょう(根本中堂横手に歌碑があります)。  「大講堂」と題された一首。 「いつくしき 五色の幡に つつまれて 大講堂ぞ ことにわびしき」  琵琶湖を望んで一首。 「みづうみは 夢...

196)こころ

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 いつも記事を書いてからタイトルを考えますが、今回は「こころ」という題を先に決めました。これまで数回にわたり「ケア」を論じ、ケアという依存・被依存の関係において当事者はもちろん周囲の人々の「こころ」が大きくものを言うと感じました。そもそも人は、友情、恋愛、仕事、親戚や近所との付き合い等々、何によらず「こころ」に差配される部分が小さくありません。かように「こころ」は大切です。夏目漱石も「こころ」を書きました。  この話は、多義的で曖昧な「こころ」の意味を明らかにしないと前へ進みませんが、これが難事業です。ここでは「利害損得と少し距離をおいて発動する喜怒哀楽の情」というほどの意味を込めています。「勘定」ではなく「感情」です。おなじく漱石の「草枕」の冒頭にこうあります。~山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。~「こころ」は漱石のいう「情」に近いと思います。  それにしても「こころ」はどこにあるのでしょうか。心は脳の活動だからあえて場所を問われれば頭の中にある、というのが科学の立場でしょう。しかし私は、「こころ」は胸の中にあるように思えてなりません。「理知」は頭の中にあり、一方で私の中に居すわり、また去来する制御不能な「こころ」は心臓のあたりにあるという実感です。日々私は息をするように悲しいのですが、頭ではなく文字どおり胸が痛みます。  桐生の山道を歩くと、いのししが地面を掘ってミミズを探したあとをよく見かけます。時にはアスファルトやコンクリートの上に堆積した落ち葉の層が丹念に掘り返されていることもあって、鼻先を冷やし傷つけて餌を得られなかったいのししの徒労を私は気の毒に思います。これも胸に感じる極小の痛みです。ミミズに感情移入しないのは手前勝手な話ですが。  えらく情緒的なことを書きましたが人には勇猛な心もあります。12世紀のイングランド王リチャード1世は戦いの中で一生を過ごし「獅子王(獅子心王)」と称されました。私たちが高校で英語を習ったK先生は、いつも部厚い英英辞典を抱えて美しい風のように登場されました。私は怠惰な生徒でしたが、先生が黒板に「Richard the lionhearted」と書き、リチャード獅子王であると説明されたことだけを不思議に記憶しています。語尾に「ed」をつけず「リチ...

195)ケアをめぐって 8(終わりに)

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 この「ケアシリーズ」は、「介護」も「被介護」も人生の当たり前、自然の道筋であると今さらながら思い至り、私の小さな体験を少し遠くから眺めようと書き出しました。もとより手のとどく範囲は限られており更新にも時間を要しましたが、道中で何冊かの本( エヴァ・キテイ 、小堀鷗一郎、中井久夫など)に出会ったこと、訪問ケアを仕事とする人々の話を聞けたことの二つは私にとって大きな収穫でした。  最後に少し書き足します。前々回(記事193)で介護士・看護師さんのインタビューを載せました。その中に、「ケアの仕事」につくことがまるで子どもの時から定められていたような人の話がありました。一部を再掲します。  ~ 福祉に携わることとなった原点のような思い出が二つある。 小学生の頃、近所に一人ひっそり暮らす顔に傷のあるおじさんがいて、近づかない よう大人から言われていた。(いま思えば傷痍軍人)。なぜか気になって友だちと一緒 に行き、話してみたら優しい普通の人だった。  もう 一つは中学の夏休み、近所の特別養護老人ホームで『実習』をさせてもらった 。認知症のおばあさんの話し相手や爪切りをしたが、やがて 「ミカンをむいて」と言われた。その通りにしたが、おばあさんはじっと見る ばかり。ふと思いついてミカンを割って小さな房にしたら、おばあさんは美味しそう に食べ始めた。その時、自分が何かに気づいた気がした。~  この思い出の主(Aさん)は、母をお世話いただいた訪問介護事業所のスタッフですが、自分は小さい時から人と接することが好きで、困っている人を見るとほっておけない気持ちにかられた と語っています。「 傷痍軍人」は先の戦争で負傷し、国の支援では生活できないため街頭で募金活動をしていた人々。多くは手や足を失った白衣姿でアコーディオンで軍歌を弾いていました。幼い頃の私には得体のしれぬ恐ろしい存在でしたが、やがてその姿を目にしなくなりました。  私よりふた回りほど年少であると推測されるAさんが「傷痍軍人」に出会ったとすれば、彼女の育った地方には戦時色が比較的ながく残っていたのかも知れません。ともあれAさんには、顔に傷があってひっそり暮らすおじさんに接近したいという気持ちが芽生えたわけです(近づくなという大人の制止が逆に子どもの好奇心を刺激したという側面があったにせよ)。  またAさんは、中学の夏休みの自主学...

194)ケアをめぐって 7(個人的なこと)

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 これが初めてではありませんが今回はきわめて個人的な内容にわたります。背伸びをして「公」の看板を上げているとはいえ所詮は個人のブログ、こんな「お断り」は大げさかもしれません。しかし、不特定多数の人が共有するネット空間に私ごとき者の「私事」をのせることにいつも気がひけます。「公私入り乱れる」ところがインターネットの可能性であり力でもあるわけですから、私の感覚はまことに古臭いという自覚もあるのですが。  11月18日に私のところで療養していた96才の母(前の記事に書きました)が亡くなりました。穏やかに自分を貫いて安らかにその時を迎えました。私はそのように出来るだろうかと自問せざるをえません。居間から母のベッドがなくなり、少なくとも日に3回あった看護師・ヘルパーさんの訪問もなくなって飼いネコが所在なさそうに身を寄せてきます。  今日(11月28日)は妻の一年で、遠方に住む息子夫婦が1才になったばかりの娘とともにやってきました。親しい友人、長年の知人、私の昔の仕事仲間からも、きれいなお花や心のこもったメッセージをいただきました。珠玉の言葉をブログに綴り悼んでくれた人もあります。何年も行き来していない人からの手紙もありました。こうした方々の中に妻の記憶が分け持たれていることを心からありがたく思います。私には「飲み過ぎないよう」との言葉も頂きました。  この一年、蟻が目の前の砂粒や落ち葉だけを見て歩くように暮らしてきましたが、同時に、私が長年ずっと守ってきたつもりの妻から、それ以上に大きく包まれてきたのだということを痛覚をともなって何度も思い返しました。  先ごろ記憶に残る追悼文を読みました。人の死を惜しむという人の心を過不足なく表した文章で、精神科医の斎藤環氏がおなじく精神科医である中井久夫氏に捧げた「義と歓待の精神 理想のケア」(朝日新聞)と題された名文です。そこには斎藤氏が中井氏に寄せる深い敬慕の念が示されており、同時に中井氏の精神科の臨床医・研究者としての仕事のみならず、語学の才をいかしたヴァレリー、カヴァフィスの詩の翻訳、『いじめの政治学』や『「昭和」を送る』などのエッセイ等々、中井氏の業績が限られた文字数に圧縮され紹介されています。  私は、追悼する人、される人の双方を知りませんでしたが、すぐに中井氏のエッセイ集を読みました。同氏が、阪神淡路大震災の「こころのケアセ...

193)ケアをめぐって 6(訪問の仕事)

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  この9月に96才の誕生日を迎えた母の話から始めます。病気と付き合いつつ独居を楽しんでいた母が心不全で入院したのは4月のこと。一命はとりとめたものの寝たきり状態となり、翌5月、退院してそのまま娘の夫である私の家で療養生活を始めました。最初の2か月は読書三昧(1日1冊読了)の日々でしたが、次第に食が細って7月には水も喉をとおらなくなったため水分補給の腹部点滴を開始、訪問医は急変も覚悟するよう私に告げました。母の弟妹一家も遠方から駆けつけ、それぞれ口に出さない思いを抱いて久しぶりの会食をしました。ところが。  お盆を過ぎたある日突然、母がそうめんを食べたいと言い出し、時間をかけて二筋三筋をすすりました。これを機に食欲がもどり、ほどなく普通食に移行して焼肉、てんぷら、握りずし、すき焼きと質、量ともに驚きの充実ぶり(私はついていけず別メニューとしました)。医師も首をかしげつつ、とにかく結果オーライで、飲食にともなう浮腫を軽減する薬を増量してくれました。この記事を書いている11月13日現在、病勢はましているように見えますが食の衰えはまったくありません。要介護度は「5」で鼻の酸素チューブ(在宅酸素)は24時間つけたままです。  こうしてわが家での7か月が過ぎましたが、この間、母は在宅ケアとして毎日3回の訪問介護もしくは看護、毎週1回の訪問入浴、毎月2回の訪問診療を受けてきました。種別を問わず合計するとサービス提供は延べ670回ほど、基本的に介護保険と後期高齢者医療保険でカバーされており大いに助かっています(一部は自己負担。超過分は全額負担)。とはいえ介護保険は「軽度者はずし」や「自立支援の機械的運用」等の問題があるうえ、制度として安定的に維持できるのかも懸念される状況で、政府は防衛費(むしろ「攻撃」費)を増やしている場合ではないと思いますが、ここは「訪問」に話を絞ります。  ホームヘルパー(訪問介護員)の仕事は、「身体介護」(排泄、食事、入浴、清拭、着替えなど身体に直接ふれる支援で「訪問看護師」の業務と共通部分がある)、「生活援助」(掃除、洗濯、調理、買い物、薬の受領など家事全般の支援)、「外出支援」(通院などの付き添い)に区分されます。母は身体介護(排泄、清拭、着替え)を受けており、私の介護とは別に、定時的にプロの眼と手による確かな支援があることは大きな支えです。 ...