209)実用解体新書
この半年をかけて母が遺した家の整理を進めてきました。220坪の敷地に4つの建物(母屋、プレハブ2棟、物置き)があり、すべてにモノがつまっていましたから、当初はエベレストの麓に一人立ちつくし雲のかなたの頂上を見上げる気持だったのです。今やっと9合目あたりまで来て「始末記」を書くゆとりができました。公を考えるブログのテーマと無縁ですが「身辺整理」や「断捨離」が心に兆し始めた方のお役に少しは立つかも知れません。私としては「捨てることの難しさ」と「ジモティーの繋ぐ力」を実感する体験となりました。 さて、家の整理とかけて「沼地をうまく渡る方法」と解く。その心は一歩ごとに沈まないよう足早に歩くことが大切です。「整理」は過ぎた日々と向き合う作業ゆえしばしば手が止まり視線が宙に浮きます。しかし取りかかったら前進あるのみ、迷わず捨てる。そう決意してちょうど良い加減です。しかしこれは今になって思うことで、実際には一歩進んでは次の手段を考えるという手さぐりの行程でした。 まず母の個人的な物や思い出の品は、「私が受け継ぐ」、「親戚知人への形見分け」、「わが家の薪ストーブで焼却」の3通りで整理し、その後に残った大量の書類、衣類、布団類は半透明のポリ袋(数十個)につめて草津市処分センターへ持ち込みました。 ついで骨董・古物商に何社か来てもらいましたが、買い取り・引き取りの可否はこちらの価値判断とまったく無縁で「いくら上積みして転売できるか」という一点にかかっており、私の予測はすべて外れました。ちなみに昨今は中国産の古物全般が高値で取引され、かの国の富裕層がこぞって買い求めるのだとか。それは他国への流出品を取り戻そうとする彼らの愛国的心情なのか、あるいは毛沢東以前の古い中国への郷愁なのか、単なる金儲けの手段なのかと私は考えてしまいました。また、鉄瓶、中でも滋賀県産の品が高く売れると聞きました(母宅にはありませんでしたが)。 さて、こうして様々な家財が引き取られていきましたが、家電製品や収納家具、食器類、新品・未開封の日用品などがまだ手つかずの状態です。ネットや電話で寄贈先を探したものの、どこも引取条件が難しいうえ輸送が面倒なので諦めました。ここでやっと社会福祉協議会の存在を思い出し、事務局に事情を説明して新品の介護用品等を引き取ってもらったほか、その紹介で子ども食堂を運営するNPO法人...